2024年3月22日出発のボランティアツアーは震災から14年目最初の活動となります、能登半島地震の被災地支援も行いながらの、南三陸町での活動に出かけます。

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平日出発の為か、高速道路の渋滞もなく、順調に常磐道を北上し、福島沿岸を目指します。

常磐富岡で常磐道を降り、富岡町夜ノ森の桜並木の街並みを観ながら、国道六号線にむかいます、原発事故以降、両脇の家屋は取り壊され、、人のいなくなった街並み、それでも桜は毎年咲きます。空き家も早々に取り壊され面影が消えようとしています、この街が自分の故郷だったとしたら、どんなに悲しく切ないことだろうと胸が詰まります。

東京からたったの3時間、13年間時が止まったままの現実があります、私たちは日々の生活で上書きされる情報に埋もれ、忘れてしまいそうな現実、それをしっかりご自分の目でみて頂きたいです。

浪江町にある請戸小学校の震災遺構を訪問、参加者さんには施設に入って見学して頂きます、震災当日、先生方のとっさの判断(津波が来る、高台にすぐに避難しよう)で生徒たちは隊列をくみ、高台の大平山に向かい、さらに山道を超えて国道6号線でダンプカーと出合って、荷台に乗せて貰い役場の避難場所にまっしぐら、、、、生徒さん達は津波の被害をまぬがれました。

津波は一階の教室を打ち抜き二階へと迫る高さで押し寄せました。(写真中央青い表示)海は目の前です。

震災伝承ロードに幾つかの遺構がのこされ、自然災害の恐ろしさと、災害はいつも身近にあることを伝え続けています、この震災遺構の維持管理にも経費がかかります、(年間400万円の赤字)お近くにおいでのときは是非立ち寄って下さい。

震災後、近くの田畑は除染され、土壌の入れ替えがなされ、家屋は解体され更地になりました。でも肝心の耕す方々が被災され避難され、どなたも耕作に携わることはありませんし、住まいを立てるかたもおりません。その結果がこのような光景となっています。(除染・解体・土壌入替の費用は全て税金、工事はゼネコン受注)

原発が爆発し、津波で流された瓦礫の中にある「命」の捜索を行っていた方々に避難指示が発令され、目の前の命を救えずに撤退した消防団員さんの綴った言葉が蘇ります。「胸がはりさける思いで撤退しなければならない虚しさ悔しさは一生忘れることはありません」、、、本来ならば救えた命、原発事故のせいで捜索されず沢山の命が失われた場所でもあります。

その浪江町に「道の駅」ができました、その道の駅で昼食を頂きます、名物は請戸漁港で水揚げされた「しらす」を使ったシラス丼です。請戸漁港の漁獲高は震災前の二割程度迄しか復活していませんが、若い漁師さん達が頑張ってこれからの漁業を担っていくようです。

浪江ICから再度常磐道~石巻市にある大川小学校を訪問しました。

この震災遺構は多くの子供達の命が奪われた場所です、失われた命に「黙祷」します。

津波の威力・恐ろしさが伝わり、避難への判断が問われた遺構です。

遺構には当時の様子が書きこまれた説明版がいたるところに設置されています。

さあ、南三陸町にむかいます、本日も民宿高倉荘にお世話になります。

毎度の夕食、、お腹いっぱい食べて明日の活動に備えます。