南三陸稚児祈祷応援ボランティアツアー ①

9月14日 東京駅近くにある鍜治橋駐車場前から南三陸に向け出発、もうこの駐車場にお世話になり14年になります、以前は駐車場内で待機できていたのですが、駅近くの高速バス乗り場がこの駐車場に集約された為、私達のバスが入れなくなり、駐車場前での待ち合わせとなっています。

参加者はスタッフ入れて11名、はじめて参加される方は1名、さあ南三陸にむけ出発です、途中常磐道を富岡出口で降り、国道6号線を走りながら、今の福島を見て頂きます。私達のツアーは現地での活動は勿論ですが、震災の影響があった福島の視察、震災遺構として残されている建物の訪問等、忘れかけている「震災」を思い起こして頂き、「災害」を身近に感じ自らの命は自分で守ることへの啓蒙も含まれています。

原発で住民が避難し、放置されたままの住宅が14年もの間、ひっそりと数多く佇んでいます、核燃料デブリの取り出しは一行程3g、原発下部に堆積しているデブリは880tあるのです。そのデブリの取り出しさえ手がついていない状態です、さて廃炉迄何年必要になるのでしょう。想像してみてください、此処があなたの故郷だったら、大好きな人が住んでいた街だとしたら、どう思われますか。

国道6号線を北上し浪江町にある「みちの駅なみえ」にて昼食、その後、宮城県の南、山元町にある震災遺構「中浜小学校跡」を訪問します。

震災遺構を見学、旧音楽室でビデオの視聴をし、当時の校長先生の「その時」の緊迫した避難の状況を聞くことができ、幾つかの奇跡で生徒さん達の命が救われたことを参加者さんに知って頂きました。校舎二階屋上に迫った津波、第三波の引き波と第4波の巨大な津波がぶつかり、校舎に向かってくる第4波の波高が低くなったこと、屋上にある屋根裏倉庫には避難できるスペースがあったこと、津波で破壊された校舎脇の体育館に保管されていた「毛布」は真空パックされていて濡れていなかったこと、それが命を救った奇跡であったこと、、校長先生は生徒を屋根裏に避難させ、ご自身が最後に非常階段を上る時「この階段を昇ったら「生き延びて降りるしかないんだ」と思ったそうです。

校舎二階に上がり、施設にいらっしゃる館内ガイドの方から、お話も聞かせて頂きます、(この方南三陸出身です)。

命を救った「非常階段」で再度、お話を聞きます、避難した屋根裏倉庫は撮影禁止なので、お見せできません。ガイドのS・Eさん「この部屋に飾ってある、満天の星空の写真をみると、震災当日の夜を思い出すんです、町の光が消えて、星が綺麗だったんですよ」

校舎屋上、400m先には海、津波第4波はこの屋上よりも高く迫り、校長先生は観念したそうですが、奇跡が起こりました。

私達がこの校舎を訪問するのは3回目、でも当時は施設として内部の見学は出来ませんでした、今回は遺構施設として訪問出来、当時の事をより知ることができました。

この校舎脇に黄色のハンカチがはためく場所があります、その先は原っぱになっているのですが、当時は300世帯、1,000人程の方々が住んでいた集落があったそうで、はためく場所はその集落の代々のお墓があった場所、墓石は移動できても地下に眠る方々を移動することはできずその弔いの為に「黄色のメッセージ」がはためく場所を作ったそうです。

中浜小学校を後にし、再び常磐道を北上、南三陸町の上山八幡宮で行われている稚児祈祷前夜の宵宮祭を訪ねます。

 

夕方5時過ぎに神社到着、夜店がでて、地元の方々で賑わいをみせています、私達も以前、夜店をだしたり、お手伝いをさせて頂きましたが今回は「南三陸高校」(旧志津川高校)の生徒さん達がひとつの夜店を開店運営しており「ああ、これが復興で、震災前の光景なんだな」と、そしてこれ迄とは違った暖かい空気を感じることができました。

境内では夜神楽が始まっていました、普通は部外者がおいそれと入り込めない地域の神事ですが、私共について地域の方々は仲間だと思って頂いているのか、歓迎してくださいます。

夜神楽が終わり、来場者にはお菓子が撒かれます。

私達も最前列でお菓子を頂戴します。

上山八幡宮禰宜、工藤真弓さんより、挨拶、宵宮祭は終了します。

地方ではどこにでもある風景、この被災地の他にもたくさんの被災地が日本にはあります、1月1日に発災した能登半島地震その被災地、珠洲市にある須須神社、この神社にはキリコの伝承があり、同日にお祭りを開催しているとのこと、この上山八幡もキリコを伝承しており、キリコ繋がりもあってか、キリコ絵をつくり購入して頂き、その代金を支援金として須須神社にお送りするそうです。

地方のお祭りか・・・と思ってしまいがちですが、地方こそ、被災地こそ、そんな地元のお祭りが必要なのではと思い、、、震災直後、工藤さんが私達に「稚児祈祷はなくしたくない、続けていきたい」と仰った意味がわかったような気がしました。

さあ、お腹もすきました、私達の到着を待ってる民宿高倉荘に向かいます。

翌日の活動のブリーフィングをおこない「はい、いただきます!!」

                                                続く

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