3月の追悼ツアーに続き、4月はワカメ収穫のお手伝いと、メカブ削ぎの体験ツアーです、今回はスタッフ含め15名の参加、コロナ禍で現地に来ることが出来なかったリピーターさん、初めて参加される方々、年齢も様々です。

今年から参加費を減額しました、、、遠くなった被災地にこれまで通り多くの方々に来ていただきたい思いで経費のマイナス補填を全て団体負担とし、参加者さんの負担は100%実費としています。「何故、物価が上がっているのにフェローズの参加費は安くなっているの?」の質問、、答えは沢山の方々に現地を、現実を見て貰いたい、現地の方々と会って貰いたいという団体の想いと、その負担を団体が担う結果、安くさせて頂いているのです。

殆どの団体は活動を止め、あるいは行政の依頼をうけ、その支援金で活動をしています、私共のように自立し、団体独自の負担で活動を継続している団体は、南三陸支援に関しては現在は存在しないと思います。

小雨ぱらつく、4月7日朝、東京を出発、寒の戻りのような天気です、今回は石巻門脇小学校、女川駅前等の訪問も予定し、常磐道を北にまっしぐらです。

線量計が設置された、高速道路、、その横には耕作放棄された田畑(耕作が汚染でできなくなった、もしくは避難で耕す人がいなくなった)が拡がっています。

このような廃家がまだ何十も、何百もあります、取り壊し、更地になった場所も多いのですが、12年経ったいまでも取り壊しすらできていない家がこんなにあるのが、現実、1号機2号機にはまだ人は近寄れず、廃炉はこの先100年かかるかも、作業に当たる人には頭が下がるし、この事態を引き起こした電力、お国は今後どうなさるつもりなんでしょう、電力不足を理由に再稼働、稼働延長に走り、未来にまた大きな禍根を残すのでしょうか。

南相馬鹿島SAにて簡単な昼食、、、今日の夕飯は高倉荘のハイボリューム飯です笑。

石巻、門脇小学校、震災当日、早めに下校した7名の生徒さんと、避難してこられた数名の地域住民の方々が亡くなられてしまいましたが、教職員の避難指示の下、殆どの生徒(224名)、避難してきた地域の方々、教職員が裏山に避難し助かった小学校です、津波火災が発生し(流された車等から漏れた燃料が引火し、燃え盛ったまま瓦礫として小学校に流れつきました)火災は三日間続き(消防の余裕はなかった)小学校は三階まで燃え、黒く焼け焦げました。昨年の4月3日、震災遺構として伝承施設を併設しオープン(館長は元石巻専修大学職員のイギリス人の方、石巻30年です)しその施設の見学をさせて頂きました。

個人的には数回訪問し、黒焦げの校舎を見ることがあったのですが、今、外壁は元の白色に変わっていました「綺麗にしたんですか」「いえ、自然の雨のチカラで黒焦げが流され、外壁が元の白色に戻ったんですよ」、、なるほど!

雨天の訪問だったのですが、参加者さんは、伝承施設に入り、時間いっぱい見学されていました。

私達は、このあと女川駅前に向かい、駅前の商店街「シルバーピア」を散策しました、さすがサンマの水揚げが多い街、サンマグッズや加工品が多く並べられてます。JR石巻線終着駅、駅には温泉施設もあり、商店街も洒落ており、独自の復興を目指す機運を感じました。 http://odecafe.tohoku-epco.co.jp/article/155

さて、女川をでて、私達は南三陸、泊浜にある民宿高倉荘を目指し、ハイボリューム夕飯に舌鼓を打ちます。

名物どんこ汁(正式名エゾアイナメ)のお吸い物、これがどんぶり一杯つきます。 満足・満腹・睡魔、、、続く

*震災時、私達はこの美味しい、ボリューム満点の夕食に助けられました、ご主人も「お腹いっぱい食べて、食べきれないくらいの夕食を提供することが高倉荘のもてなし」と仰ってます。