第19回ボランティアツアー&交流会BBQ ①
第19回フェローズウィルボランティアツアー その1
前週の夏祭り支援ツアーから一週間、第19回(通算47回)ツアーが催行されました。今回はツアースタッフとしてS・Kさんが参加してくれました。さっそく、車中で得意の「天城越え」を熱唱・・いえいえアナウンスです。バスは定刻で東京駅より出発し常磐道を通り、福島に入ります。
広野で降り、いつものように沿岸部に入ります。8月11日は東日本大震災4年5か月目の月命日、そして震災後初めて原発が再稼働する日です。何故今の福島の現状を見ようとせず、経済を優先させるのでしょうか?あの事故は経済を優先させるあまり、安全を見過した結果ではないのでしょうか?またも同じ過ちを繰り返すのでしょうか?また自然に購うのでしょうか?避難指示区域であった富岡駅跡近辺は津波で破壊されたまま時間が停まっています。(垂れ下がった電線がそのまま風にゆれています・・写真下)JRと書かれていなければここに駅があったと誰が想像できるでしょう。
見えるのは駅舎ではなく、うず高く積まれた除染土が入った黒い袋だけです。
慰霊碑に手を合わせ、駅跡近辺を視察します。
facebookを始めたころ、多くの真実が伝えられてきました。でも今はそういった記事が少なくなり楽しげな掲載が増えています。震災と支援の関係が崩れてきているのでしょうか?4年5か月の時の経過がそうさせているのか、抑止がはたらいているのかは判りませんがこれも現実です。震災での帰宅困難者19万人以上、その半数が福島の方々です、19万人ってすごい数だと思いませんか?同じ国民としてこの現状を看過することはできませんし、してはならないと思うのです。
南相馬鹿島SAで昼食をとり、石巻大川小学校跡の視察に向かいます。献花&焼香、毎月のお参りです。夏草がぼうぼうと生い茂り、草刈の方がその草を除去していました。子供達が新北上大橋袂に避難した道、今はひまわりが教えてくれます。この裏山に上っていれば、、。しかし、その判断が出来たのか否かは私たちには判りません、ただ祈るのみです。慰霊塔の後ろに草むらにあった瓦礫でしょうか、無造作に置かれていました。新北上大橋を渡り、夕焼けが迫る南三陸へと向かいます。宿泊するさんさん館で、夜に視聴するDVDが写された場所に立って頂きます。目の前が嵩上げされ、街並みがあったとは想像もできません、ただ彼方に傾く水門作業小屋が僅かにその時を物語ってくれます。(変化する街並みはHPアーカイブをご覧ください)
明日はBBQ、今晩の夕食はさんさん館で頂きます。DVDの視聴を終え、参加者さん達のご意見をうかがいます。初めてのツアーから何も変わらない姿勢があります・「忘れない」「忘れさせない」。その姿勢が進化し「close to you」となって現在に至っています。
明日の天気はどうでしょう?暑くならなければいいのですが。 続く