第85回南三陸ボランティア:3.11追悼ツアー  ①

2011年3.11 その夜は人の光が閉ざされ、満点の星空が広がっていたそうです、「こんな星空みたことない」「きっと誰かの命が星になって私達を導いてくれているんだ」「自然はお前たちの想像をはるかに超えているんだというメッセージに見えた」被災地の方々の打ちひしがれた心にこの満点の星が何かを語ってくれたことは確かなようです。

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写真:現地Oさん提供

2019年3.11の追悼を行う為、3月9日東京駅を出発し、バスは常磐道を北上し南三陸に向かいます。IMG_2326

運転はボランティア古賀さん、安定の運転です。


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現地集合含め、参加者21名、車内はほぼ満席です。福島広野で高速を降り、一般道を走ります、沿岸の道路は通行止め、迂回し人の帰らない、帰ってこれない街をただはしります。


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いまだに、道路脇にフェンスが張り巡らされ、人の出入りができない街並み、、、。

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遠くの赤いクレーンや鉄塔、煙突、、福島第一原発です。 人が一時間以内に致死する放射線を放出し続ける800トンのデブリがこの施設内にあります。


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広大な白いフェンスのなかは、除染物質が詰められたフレコンバッグで溢れています、こんな光景はいたるところに見受けられます、民家のそばにも、高速道路のそばにも、人里離れた平地にも、、、2200万㎥って想像できますか?          フレコンバック2200万個です。今後汚染土は放射線量5000ベクレル以下は園芸用、8000ベクレル以下は工事用土砂として全国で使用されるようになります。震災前は100ベクレル以下が安全とされる基準でした、、、知ってました??

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浪江町は2017年に避難解除され、住民の方々が帰還しています、震災前の人口21,000人、現在の帰還者900人、5%以下です。8年間、人が住まない家屋のカーテンが風に揺れています。

東北地方太平洋沖地震による津波の災害、原発の災害を含め「東日本大震災」と呼びます、そう思うと復興は何年先になるのでしょう。

バスは常磐道に戻り、SAで昼食を頂き、石巻大川小学校へと向かいます。

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晴天の大川小学校、、多分、追悼ツアーでは初めてのことです。いつもは寒い雨が降ったり、雪が飛んできたり、冷たい風が吹きすさぶ大川小学校でした。


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花を手向け、お焼香をし、手を合わせ 学校跡に進みます。

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さあ、南三陸町に向かいます。


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今日も一日お疲れさまでした、明日に備えて沢山召し上がってください。  高倉荘の夕食はいつも豪勢です。

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続く

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