6月12日 梅雨空の下、東京駅を出発し南三陸に向かいます。今回は少ない参加人数となりましたが、私たちはいつも催行します。とかく人が集まらないからといって不催行とする方々もおられるようですが、私どもは2011年12月からのボランティアツアーを一回たりとも不催行としたことはありません。もうすでに通算44回目となります。

常磐道を広野インターで降り、国道6号線を横切り富岡駅跡迄、沿岸部を走ります。1前を除染土を積んだトラックが走ります、3月から始めたこのツアー行程で変わる景色といえば、除染土が入った黒い袋の数が増えているだけです。16-7富岡駅跡(目の前が太平洋ですが、今は黒い袋の山で海を見る事はできません)に到着、駅前と町内を視察します。23事情は嫌と言うほど判ってはいますが、これが4年3か月を経た現実です。4手前の茶色い物体は「金庫」です、開けられた状態で横たわっています。5

オオキンケイギクが繁殖しています、いつの間にか一面黄色になってしまうのでしょう。6町の中心部へ向かう参加者の方々、誰もいない町を肌で感じています。

相馬鹿島SAで昼食をとり、石巻大川小学校を経由して南三陸に向かいます。8SAでふと見た渋滞情報?よく見ると線量情報です。福島の沿岸部一帯には豊かな海、幸せな家族、希望を膨らませた未来がありました、「人の驕り」と「あやまち」の結果がこの現実です。除染作業がいつか終わり、長い長い廃炉の時が待ち構えています。果たしてこの地があの原発事故前のように戻ることができるのでしょうか?自主避難の方々への補助が今年度でなくなるとの報道が淡々となされています、現在福島の避難者は県内含め140,000人です。

自分は関係ないから・・・本当にそれでいいのでしょうか。 16-8子供達が向かった先は新北上大橋の袂(白つめ草、紅つめ草が鬱蒼と自生している先が橋の袂です)16-9その向かったであろう道には松葉菊が植えてありました。10ただただ、花を手向け、お焼香をし「忘れないよ、天国に行ってね」と祈るばかりです。9夕刻前、南三陸到着、さっそく夕飯となります・・夕飯は「ウニ」です!!11ウニの開口とウニ漁、、しかしウニは今出荷できないのです。何故なら加工場が津波でながされ、再開できないからです。幸い再開された加工場もあり、僅かですが出荷が再開されてはいるものの加工ウニ(ミョウバン殺菌し下駄盛したもの、もしくは塩水入り)出荷はまだまだ先の話、今は殻付でしか出荷が出来ません。そして、このウニは放っておくと海藻を食べるやっかい者なのです。

さて、夕食が終わり、翌日の植樹の準備・・プレート書きです。12写真手前右側から参加者T・Uさん、Y・Tさん、K・Tさん、M・Hさん 正面肘ついてるスタッフ伊藤さん。左手前からN・Aさん、Y・Iさん、そしてスタッフ天井さんです。お疲れのところご苦労様でした。

さて、明日の天気を期待して…続く