第55回南三陸漁業支援ボランティア ワカメ編 ①
第55回フェローズウィルボランティア その1
4月15日(金)朝時刻通りに東京駅鍛冶橋駐車場を出発、平日出発の為か参加者さんは9名、スタッフ含め13名の催行となりました。前日に起きた熊本震災でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表し出発です。連休でもなく、平日の下りはガラガラ状態です。マイクロバスは常磐道を北上し、福島沿岸部に入ります。(写真下は日立市)
広野インターで下車、沿岸部を走り、常磐線踏切を渡りますが、先は雑草が生え放題の状態で、岩沼~新地、上野~いわき辺りはいずれ開通するでしょうが、全線開通はいつになるかも目途がつかない状態です。
富岡駅前にある、除染物の集積場、来るたび量や場所が変わります。大熊町にある中間貯蔵施設に運ばれ30年間貯蔵されるとのことで最近やっとその移動が始まったばかりです。富岡駅跡はもう解体され跡形もなくなっています、人が何年もかけて培ってきた暮らしの歴史は重機によってたった一日で更地になってしまい、そして初めて訪れる方々にはただの更地にしか見えない光景が残っているだけです。(写真手前更地には沢山の津波で破壊されたままの住居がありました)。楢葉町、南相馬小高地区は避難解除される予定で住民が戻れる環境となった、とお国は伝えていますが実際は住民の13%~30%しか帰還はしていないのです。理由?放射能:町が機能しない:仕事がない!しかし自主避難されている方々の住宅補助はもうなくなっているんです。福島には地元を追われ、避難している方々が5年たっても10万人以上いるのが現実なのです。たくさんの方々にこの現実をみて頂きたい!!
南相馬鹿島SAで昼食をとり、石巻大川小学校へ向かいます。大川小学校は最近市が「震災遺構」として残すと決定した所です。手前の休憩場所「上品の郷」で献花用のお花を購入し、全員でお焼香をさせて頂きます。子供達が避難しただろうその「道」にはタンポポが咲いていました。。。安らかに!合掌。南三陸歌津にある、高倉荘に到着と同時に夕食です。何故いつもここに宿泊するのか?宿主のTさんが地区の自治会長や泊浜漁港組合の役員をされており、震災の時は真っ先に地元の為に奔走され、その後も自分はさておき地域の為に働いている方だからなのです。(お話は長いですが、、笑)翌日は晴れ!、朝のブリーフィングを行い(事故などないように毎回行っています)本日の活動場所寄木漁港に向かいます。メカブ削ぎ。写真手前右からK・Tさん(殆ど地元民です)左はY・Tさん(今回は薄着)奥がM・Hさん、S・Yさんの面々こちらもベテランY・Tさんです。奥はスタッフS・Iさんです(変幻自在、、笑)。H宅爺ちゃんから「はい、アルバイト!」と言われ(昨年も同様)たらの芽取りに出掛けます。もう少し育ったのはないか??と山を登って。。。と言うわけで昼食のおかずになりました。連休時ツアーでは再度挑戦しようかな。笑 続く