2026年2月 南三陸漁業支援ボランティアツアー①
2011年3月11日に発生した東日本大震災、その後に発生した福島第一原発事故から間もなく15年。
当団体が発災直後から現在に至るまで続けてきた宮城県南三陸町でのボランティア活動も、同じく15年目に入ろうとしています。
2026年最初のボランティアツアーは、毎年恒例となったワカメ収穫支援となります。
当団体のツアーにおいても毎年多くの参加者さんが集まり、中には10年以上も継続してツアーに参加いただけるリピーターさんもいらっしゃいます。南三陸町の漁業を支えるワカメ養殖は毎年冬から春先にかけて収穫のシーズンを迎えます。この時期は塩蔵ワカメやメカブ削ぎなど特に人手を要する作業ばかりであり、私達は三連休を利用して、震災以来ずっと支援し続けてきた馴染みの漁師さん達のお手伝いに現地へと向かいます。
この活動はボランティアであることには変わりありませんが、スタッフやリピーターさんによると「親戚が忙しい時期にちょっと手伝いにいく」ような感覚とのこと。この一言に、私達が長年ツアーを続けてきた意味が凝縮されているような気がします。


ツアー1日目。いつも通り東京駅鍛冶橋駐車場の近隣に集合し、「NPO法人ボランティアサポートさいたま」藪下代表が運転するバスに乗車して、いざ出発です。藪下さん、3日間よろしくお願いいたします!
今回はスタッフ含め14名ですが、何と初参加者が6名も!
私達の活動に興味を持っていただけること、本当にありがたいです。スタッフ一同、感謝感激。
15年の間に、日本全国各地では大きな自然災害が発生し、東日本大震災は徐々に人々の記憶から薄れてきています。年月が経てば風化が進むのは世の常ではありますが、そのような中でも私達は、忘れない、忘れさせないという想いでこの活動を継続しています。今回は長年活動を支えていただいたリピーターにも多数参加いただきましたが、私達と同じく「初参加者が多いのは嬉しいね!」とのお言葉。想いは一緒、本当に嬉しい限りです。


常磐道を北上し、福島県富岡町から高速を降りて国道6号線へ。私達は南三陸町へ向かう途中、必ず福島県沿岸の現状を視察します。道中、幾つもの箇所で見られる放射線量の「線量計」、皆さんの目には気づかないまま通り過ぎるのでしょうが、世界中をみても福島でしか見られない光景です。
原発事故の直後、周辺住民に対して避難命令が発令。帰宅困難区域としてバリケードによって完全に封鎖されていた町並みも、近年は徐々に規制が解除され、少しずつではありますが人々も戻ってきた様子が伺えます。画像にはありませんが、富岡町夜ノ森において、ツアー中の視察で初めて「公園で親子が遊んでいる光景」を見かけました。人が集う町ではごくごく当たり前と思われる光景も、長年の封鎖から解放され、ようやく住むことが許されたこの町にとって、ようやく「復興の兆し」を実感できた瞬間でした。

富岡町から大熊町・双葉町を通り、福島第一原発の横を抜け、福島県浪江町にある震災遺構「請戸小学校」へ到着。まずはこちらを見学します。








私達のツアーでは必ず震災遺構を見学するのですが、スケジュールの関係上、十分な見学時間が取れないため、初参加者の皆さんにはスタッフがついて説明します。請戸小学校は海岸から約300mという距離にありながら、当時学校にいた生徒・教員が迫り来る津波から逃れることができました。ツアーの初参加者には、東北さえ初めて来るという方が何人もいらっしゃいました。メディアやSNS等によって津波による甚大な被害が発生したことは頭のなかで理解できていたとしても、やはり百聞一見。直接自身の目で現場を見ていただきたく、私達は震災遺構の見学を毎回欠かさず行っています。
請戸小学校には当時の避難の様子や緊迫した状況を絵本調にしたイラストが掲載されているのですが、ひときわ印象深いものがあります。

「荷台に乗れっ みんな乗せて行ってやる!」
児童達はどうにか避難できたものの、周囲は津波によって破壊され避難所へ向かうことすらままならない状況。そんななか、偶然通りかかった大型トラックが児童達を荷台に乗せて避難所へ送り届けてくれたというシーン。震災当日は冷え込みが厳しく、比較的温暖と言われる福島県沿岸でも雪が舞うような寒さ。着の身着のまま逃げてきた児童達は、その寒さによって命が危険にさらされていた状況でした。未曾有の大災害から全員助かったと言われる「奇跡」の出来事も、実際はこのような「偶然の積み重ね」があったからなのです。その真実をひとつ知るだけでも、この地を訪れた意味はあると思っております。私事ですが、請戸小学校のなかでもこのイラストが最も印象的です。

請戸小学校から眺める福島第一原発。震災前、児童達にはどのように見えていたのでしょうか。
さて請戸小学校の見学を終え、道の駅「なみえ」で昼食にします。


それにしても、当日は今までにないような大混雑!いつもはフードコートで名物「しらす丼」「浪江焼きそば」などを美味しそうに頬張るのですが、券売機には見たこともないような大行列。隣のパン屋さんにも大行列。初めて来た人にとっては「困ったなぁ」なのでしょうが、私達にとっては「盛況で何より」なのです。
2020年オープン以来、私達はこの場を休憩スポットに選びました。復興途上にある浪江町に新たなランドマークとして立ち上がった道の駅。毎回立ち寄るたびに、町に活気が戻ってきた様子を感じられます。

続いて向かった先は、宮城県石巻市にある震災遺構「大川小学校」。
今回初参加者が多かったこともあり、少々ハードスケジュールですが見学を組み込みました。先ほどの請戸小学校や他地域においては、迅速な避難により命が助かった「奇跡」がありましたが、児童74人・教職員10人が犠牲となった大川小学校の「悲劇」は、色々な意味で比較されてしまいます。


この地が震災遺構となる前から、私達はツアーの度にここを訪れ、追悼してまいりました。そしてその度に参加者さんへ伝えるのは、日頃から災害に備える「防災への意識」。この地を訪れるのは災害により犠牲となった命の重さ・尊さを知る意味もありますが、自身が住まう環境における防災意識を普段から持っておくことの重要性を問うことにあります。
目の前に見える裏山、子ども達でも容易に登れるあの山道を、たった数m登っていれば・・・タラレバでは済まされない、残酷な真実がここにはあります。
「二度とこのような悲劇を繰り返さない、繰り返してはならない」
この地で語りべを担う皆様は口を揃えてこう言うのです。私達も毎回、肝に銘じる言葉です。
大川小学校を出立し、ようやく宮城県南三陸町に到着しました。
震災遺構を二箇所も立ち寄ったため、今晩の宿泊先である南三陸町歌津の民宿「高倉荘」に到着した時には、すっかり日が暮れてしまいました。それでも高倉荘のお父さん・お母さんは「遠いところ、よく来てくれましたね」と笑顔で迎えてくれます。

超豪華!お父さんの煮付けは絶品です(今回はミズガレイ)

南三陸の冬の味覚「鱈」。高倉荘ならではの豪快な鱈汁。

道の駅の大混雑によって昼食は十分取れませんでしたので、その分高倉荘のボリューム満点な夕食は大変ありがたいです。いつも通り豪華な料理もさることならが、この時期しか食べられない旬の料理「生ワカメのしゃぶしゃぶ」が用意されていました!




生のワカメは褐色をしており、それを出汁にくぐらせるとサァーッと鮮やかな緑色に変身(ここで初めて、生のワカメは「褐色」であることを知る)ポン酢をかけて、さぁ召し上がれ!
こうしてワカメをしゃぶしゃぶで食べられるのは、ワカメ収穫の比較的早い時期である2月頃がシーズン。そのワカメのなかでも柔らかい部分を漁師さん達が厳選して収穫しているので、実は大変貴重な一品なのです。生ワカメは傷みが早いので鮮度が命、よって都会ではなかなか食べることは出来ません。2月ツアー参加者ならではの特権とも言えますね。

今回のツアーには高校生のリピーターKさんがいらっしゃいました。そのKさん、見事卒業後の進路が決まったとのことで、高倉荘のお父さんからお祝いとして真鯛と金目鯛をいただきたました。お父さん自らが釣り上げてきた至極の一品。こうした参加者ひとり一人に心を込めたおもてなし、私達の活動をずっと支えてきてくれた高倉荘には感謝です。
お腹一杯いただきましたので、明朝から作業に入ります。
参加者の皆様、長時間の移動、大変お疲れさまでした。
ゆっくりお休みくださいませ。
ツアー2日目に続く。


