追 悼・・・2015年3月11日 14:46:48
大川小学校を出発し、北上川を下流に向かいながら、十三浜を過ぎ、戸倉中学校に立ち寄ります。
見下ろす海と海岸からどれほどの高さの津波が押し寄せたのが判ります。
戸倉中学校を後にし、色々な意味で震災の象徴となっている防災対策庁舎を訪れます。参加者全員でお焼香をさせて頂きました。43名の方々が犠牲になったこの場所は県から宮城県が20年間管理し、その後町に委ねるという提案が出されています。しかし3月15日時点において町からの回答は未だないようです。「保存」か「取り壊しか」町が二分されています。マスコミが大勢見えています、この時ばかりと報道合戦を繰り広げているようです。さんさん商店街で昼食をとり上山八幡宮に向かいます。
今回追悼の場所として上山八幡宮を選んだのには訳があります。神社入り口のところで津波は止まり、本殿迄押し寄せることがなかったのです。襲来後ご自宅と神社を確認にこられた時、神社内には白い梅の花が咲き誇っていたそうです。
ご自宅は津波で破壊され、取り壊しとなりましたが、今その傍に新しい家が建築されています。神社の禰宜さんであるM・Kさんから当時のお話を紙芝居「ぼくのふるさと」を交えてお聞きかせ頂きました。その前に全員で海に向かい「黙祷」を行います。M・Kさんのセーターには椿のブローチが付けられています。「南三陸つばき物語」と称してこれから永く続く復興物語の1ページめを作りはじめています。登米市南方にある仮設住宅のおばちゃん達から生まれたこの物語を支援する為に作られた「切子ハガキ」、参加者さん達に沢山買って頂きました。
そしてその時を迎えます。サイレンの音とともに全員で黙祷(冒頭写真)
完
追記 帰り道も雪でした。20日~22日催行されるワカメ収穫支援活動では雪にならなければ良いと願いつつ帰路につきました。追加写真(請戸小学校黒板)
請戸漁港近く・・・
3・11が近づくと、一斉にマスコミが報道合戦を始めます。「忘れない」「忘れさせない」為には有難いことだと思っているのですが、3・11以降めっきりその報道が減ってしまうことが残念です。
参加者の皆さん、又お会いしましょう。感謝