第三回フェローズウィル3・11追悼ツアーを催行しました。3月10日東京駅を出発し、3月7日に全線開通した常磐道を北上します、フェローズの仲間から浪江町等の情報を事前にお聞きしていましたので今回は浪江町と山元町訪問を行程に追加してのツアーとしました。追悼ツアー40 - コピーカメラ目線は参加者S・Tさん

開通したばかりの常磐道下りは一台の車も走っておらず、たまにトラックに出会う程度です。追悼ツアー36 - コピーいわきを通過し、暫く走ると「黒い大きな袋」が無数に蔵置されている様子が目に入ってきます。追悼ツアー41 - コピー道路の右にも左にも・・・民家の傍にあるのですが、その民家には何方の姿もありません。追悼ツアー42 - コピー線量計が設置された高速道路、世界中にあるでしょうか?追悼ツアー43 - コピーインターを降り浪江町に入ります。震災津波で破壊された街並とは様相が全く異なり放射能汚染という人が作り出した異物故の「無人の街並」です。ところどころ地震で崩れた家屋がある商店街には、あの時、着の身着のままで避難された方々の生活がそのまま残っています。追悼ツアー21町内を走り最初に訪問したのは請戸地区にある「請戸小学校」です。立ち入るには通行証が必要です。追悼ツアー37 - コピー請戸小学校体育館、海岸近くにあり津波の被害を受けました、窪んだ床から子供達の元気な歓声が聞こえてきそうです。追悼ツアー38 - コピー津波の被害そのままに、あの日から何も変わってはいません。校庭からは福島第一原発跡の高い塔が見えます。3月12日最初の原発が爆発し全ては止まってしまいました。追悼ツアー23追悼ツアー22学校跡にM新聞社の記者の方が一人取材をされていましたが、付近には何方の姿も見受けられませんでした。追悼ツアー44 - コピー小学校近くの請戸漁港に向かいます。追悼ツアー24津波で流され、ぺしゃんこになったままの車、打ち抜かれたままの家屋や社屋が立ち並んでいます。追悼ツアー35 - コピー (2)追悼ツアー25追悼ツアー20破壊された港近くの海岸に無数のカモメが留まっていました、このカモメ達も被害者なのかもしれません。追悼ツアー47近くで、打ち上げられた漁船の撤去作業が行われていました。追悼ツアー19震災から明日で四年、やっと立ち入りが制限付きで許可され、このような撤去作業が行われるようになりました。

続く