今日で阪神・淡路大震災から19年。

 

1995年1月17日。

当時、私は大阪の実家で、

布団から起き上がる事も出来ずにただ身体を左右に大きく揺らされながら、

一刻も早くこの激しい揺れが収まるのを待っていた。

 

朝のニュースに映る神戸周辺の街は確かに衝撃的だったけど、

揺れが収まり、朝日で明るくなった部屋で見るその映像は

知らない街のどこか遠い出来事の様にも思えた。

それは自分自身もそうだった。

今朝あれほど強く揺れたのに何故か現実感がなくなっていた。

それでも妙に興奮状態だった事は覚えている。

 

偶然繋がった会社の同僚とニュースを観ながらこれからの話をしていた時だった。

話し始めた時には2桁だった犠牲者の数が見る間に上がっていく。

その速さはまるでストップウォッチの秒針の様で、

少しゆっくりになったかと思えば、次の瞬間にはそのロスを取り戻すかのように速度を上げた。

3桁に近づく頃にはお互いに言葉を失い、電話を切った。

3桁を突破した時には画面に映る光景にその人達が突如重なり、怖くなってテレビを消した。

 

 

2014年1月17日。

昨日のテレビで、

阪神と東日本で最愛の息子さんを亡くした母親2人が絵本を作るという内容の放送があった。

亡くなった息子さんの事を兄弟姉妹に伝え残す為の絵本らしい。

(兄弟姉妹は震災で亡くなった兄弟がいる事を両親から聞いてちゃんと知っている)

2人とも絵本の最後は家族が一緒にいるイラストにしたいと言っていた。

息子さん一人が天国から家族を見下ろすような、一人だけ違う位置にいる様なイラストではなく、

ちゃんと家族一緒で、家族の中にちゃんと息子さんがいるイラスト。

 

震災からある年数が経過した頃から

お母さん達は息子さんの事を口に出せなくなったと感じていた。

「まだ震災の話?」「まだ立ち止まっているの?」

そういう空気を感じる様になってきたから。

 

「その人が受けた痛みや哀しみは結局はその人にしか分からない」

1人の母親は自分と同じ様な想いを抱いている人を必死で探した。

もう1人の母親は絵本を作る事を思い立った。

そして2人の母親は出会い、2人で絵本を作る事にした。

 

打ち合わせで何度も息子さんの話をし、

同じ様な経験を語り合い、エピソードを披露し合い、希望を話し合った。

 

そして最後に2人に変化が起きた。

1人の母親の最後のイラストには天国から家族を見下ろす息子さんが描かれていた。

もう1人の母親の最後のイラストには

家族に囲まれ、中央に座るお母さんに抱かれた息子さんの笑顔の遺影が描かれていた。

 

※内容が放送と違う場合は当方の記憶違いです。ご容赦下さい。

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 ※参考画像

 

合掌。