南三陸歌津寄木漁港編 南三陸訪問、三日目は歌津寄木漁港ちかくにある「縁」というペンションに移動します、この縁は現地の漁師さん宅の敷地内にある宿泊施設で命名は私達と漁師さんで決め、パンフレット等もこちらで作成させて頂きました。   縁からみえる海や漁港の景色は本当に素敵です。

この二年半で変わったものは、高い高い防潮堤で港が囲われたことです。

メカブ作業は終了していましたが、ワカメの袋詰め作業が残っており、さっそくのお手伝い開始です。

畠山吉文さんご夫婦もとても元気そうで、私達の訪問も大変喜んで下さいました、、また来ますね!!

このコロナ禍でも、これまで訪問して下さったボランティアさん達からのワカメの注文が多くあるらしく、袋詰めも忙しい。畠山克則さん宅はいつもの賑わいです。

懐かしい作業小屋

KKさんとコラボした石川大工さん、もみの木のお世話をして頂いています。曰くあの橋「中橋」は本当は石川橋と呼ぶそうです。

爺ちゃん、婆ちゃんも元気です。

最新の塩蔵装置、24時間⇒3時間という短縮で、朝の辛い仕事が省けるようになったそうで、大きな洗濯機です、息子さんからの提案らしいです。この畠山一家は三世代が一つの住居に同居し、息子さんのYさんも近く結婚式をあげ、夏にはお父さんになるそうで、ますます賑わいますね。震災とコロナ禍を経て、家族の団結がますます強くなっているようです。

近くのハマーレ歌津を訪ね、懐かしい方々との再会を果たし、スタッフ二人は雨の中、気仙沼~大島に架けられた橋の視察にでかけ、残ったスタッフは、石巻にある上品の郷で購入したせり他と頂いたこごみを下茹でしたり、夕食の用意に取り掛かります。

例年、ボランティアの皆さんが浜でメカブ削ぎしている間、私は爺ちゃんとタラの芽採りに勤しむのが通例、多分明日は爺ちゃんと一緒にタラの芽採りになるとおもいます。

夕食には畠山さんが生牡蠣持参してくれ、そのご息子さんがお嫁さんを連れ参加、幸せな空気のなか、時を過ごします。


翌日は、ワカメの袋詰めの合間に、ハマーレ歌津でフィッシングショップを営み、釣り船をだしている畠山さんのお兄さんがお茶のみに参加。

南三陸ワイナリー訪問編 さて、今回の訪問の目的の一つ、「南三陸ワイナリー」訪問の時間になりました。震災後、ボランティアで岩手に入られていた佐々木さんという方が、会社を退職し、その後宮城のワイナリーにて修行し、南三陸町の海鮮や地元産の食材を利用した「食」と「ワイン」を町の特産として発信していくことを目的に開設したものです。多くのご苦労の後、ワイナリーをスタートさせ、今は都内の飲食店や通販でも販売されるようになりました、私たちはワイナリーをスタートさせる前にクラウドファウンディングに参加支援し、コロナ禍においては、大量購入、オンラインで繋いだワイン会等、ご支援を継続してきました。

場所は旧魚市場前、以前は鮭加工工場の跡地、壁などの補修他はボランティアさんがお手伝いして下さったそうで、私たちは今後、ブドウの収穫他でお手伝いを継続していく予定です。

今日は旧知の方々と共にディナーをワインと共に頂きます、その前にワイナリーの見学をさせて頂きました。

樽にはワインが入っています。

さて、現地にIターンし、地元で就労した、フェローズウィルボランティア参加者:井口さん、上山八幡宮の工藤真弓さん、たみ子の海パックの阿部たみ子さんが到着し、ディナーのはじまりです。

シェフは銀鮭養殖業者としてUターンした方、以前は飲食店で修業されていたそう、ギャルソンも最近Iターンで南三陸に移住してきた方です。

さて、ご馳走の紹介です。

銀鮭の生ハム仕立て

鮟鱇を春巻きの皮のようなもので包んで仕上げました、ソースも美味しい。

ヒラメのクリーム仕立てとタケノコのコラボ

ワカメヒツジのあらびき肉を使った煮込み

自家製パン

最後にデザート&コーヒー

南三陸でこんなにおしゃれで美味しいものが頂けるとは思ってもみなかった、、とは現地のお三方。

いい意味でどんどん良くなってきているところも多く見受けられます、工藤真弓さんが私の「疑問」に答えてくださいました。

以前よりみんな若く元気になっているのは何故?

「震災後、国を含めた多くの支援やボランティアをあてに、頼りにして、皆前を向き始めたとき、コロナ禍という災いが発生し、これまで頼りにしてきたものを享受できなくなったとき、皆が自分たちで何とかしないと生きていけない状況になり、一時は落ち込みもあったけど、それでも前向いて懸命にすごしてきた時間がそうさせているのかもしません」

その言葉に納得しました、これは人や組織にとっても大事な教訓のような気がします、いつも何かの傘のしたで生き不満ばかりを述べ、自分のことだけを考えているようではいけませんねということかもしれません。       これからの価値観に必要な要素がこの町に芽生えているのではないでしょうか。私見ですが、、。

全員で集合写真、、ワインもお料理もおいしく頂きました。

南三陸プレ訪問最終日編 前夜、初めて南三陸町でタクシーに乗りました笑、さて、最終日は戸倉地区にある阿部たみ子さん(たみ子の海パック工房)を訪ねます。

戸倉:長清にあるこの港、今はたみ子一家の漁船が唯一停泊する港になっています、そしてごらんのとおり防潮堤がありません、町中が防潮堤に囲まれる中、この場所にはその計画もないそうで、綺麗な海が見渡せます。

震災時、ご主人が海から戻って来ず、不安や恐怖で「海にはでたくない」と離婚迄考えたたみ子さんですが、今は長男ご夫妻も仙台からUターンされ、漁師の跡継ぎもでき、忙しく大変ですが、幸せな時が流れているようです。

5月いっぱい生食できる牡蠣を蒸して頂き、コロナ禍中のお話や最近のトピック、町の話を聞かせて頂きました。 やっぱり戸倉の牡蠣は最高です、初日はシラスに出会い、最終日は牡蠣で締めくくれるなど幸せです。

南三陸プレ訪問大川小学校編 たみ子さんに別れを告げ、私たちは石巻の北上川のほとりにある震災遺構「大川小学校」を訪ねます、コロナ禍中、震災遺構として市が整備し、管理しているところで、震災遺構後は初めての訪問となりました。いろいろな問題を抱え、教訓として残る遺構です。

校門がこのように移設されてます。後方が校舎跡です。

このように校舎跡と伝承館の間は芝生がしかれ、綺麗に整備されています。

向かって左が校舎跡、正面右側が伝承館です。

遺構施設の入り口にはこのような案内板

伝承館のなかには、当時の写真、地震から津波到来までの問題と教訓をつたえる資料等が展示されています。

震災直後から訪問し、惨状も目の当たりにしている私達にとって、遺構として過去の教訓をのこして頂くことはとても大事なことだと思っております、と同時にこの周りには集落があって、まだ行方不明の学童がいらっしゃる現実を忘れてはいけないと感じました。

4日間の訪問を終え、東京に戻りますが、この2年半の時のながれと被災地の移り変わりをできるだけ、この掲載で伝えようとしましたが、やはり現地に赴いて頂くことでしか、わからないものも多くあるとの印象です。コロナ禍の収束は先がみえませんが、皆さん忘れることなく、いつまでも心や想いの中に留め、いつかあの美しい海をご自分の目で、心で感じて頂きたいと思います。

昨今は明日はどうなるか、未来はどうなのか、、という不安の時、でも前を向いて懸命に生きる方々には必ず希望があると思います。

長々と有難うございました。                                     完