第24回ボランティア・ツアー①
11月初旬の連休に第24回ボランティア・ツアーを催行しました。
第24回は初めて参加される方が多く、運転ボランティアも初めての方でした。
今回初めて運転ボランティアを務めてくれたEさんは
かれこれ20年近くも地域ボランティアをされていて、
その上、被災地でのボランティア経験もあるベテランの方です。
バスは渋滞を避け、常磐道経由で一路東北へと向かいます。
この日、南三陸町では
解体を正式に表明した防災庁舎で慰霊祭が執り行われました。
慰霊祭は午前10時からだったので、到着した午後には既に会場は閑散としており、
数名の町職員と報道関係者、そして町外から来たと思しき人達がいるだけでした。
ふと横を見ると佐藤仁町長が取材を受けています。
防災庁舎解体について、改めてその方針を聞かれている様子です。
9月26日に佐藤仁町長が防災庁舎の解体を正式表明した後、
10月28日に村井県知事が、29日には根本復興大臣が
それぞれの会見で震災遺構の保存について前向きな方針を示した為でしょう。
震災遺構の保存国が来月中に支援策 村井知事、住民調整役に意欲 宮城
(10/30付 河北新報記事より)
バスは戸倉中学校を経由し、静けさを取り戻した防災庁舎へ到着です。
慰霊祭用の祭壇やテントも撤去され、通常の献花台に戻っています。
それでも飾られた花々から慰霊祭の名残を感じられます。
その花々を眺め、防災庁舎に向けて焼香と黙祷を捧げます。
防災庁舎はこれまでも「保存」と「解体」を繰り返しています。
町は当初「保存」の方針を打ち出していたのですが、
ご遺族の心情を考慮し、「解体」へと方針を転換しました。
その後、保存を求める町民有志による陳述書の提出や解体延期の声が上がり、
町内では「解体」「保存」「(決定)延期」の3様の意見に分かれたまま、
防災庁舎について特に具体的な動きもなく、保留の様な状態が続いていました。
そして9月、“苦渋の決断”として町長(町)が正式な解体を決断した後、
前述の通り、県知事や復興大臣が保存や支援の意向を示し、
震災遺構として再び保存の検討対象となりました。
10月30日には語り部としてもご活躍中の後藤一磨さんが
保存を訴える町民の有志の方達と共に
『南三陸町防災対策庁舎を考える町民運動』を設立し、署名活動を始めた様です。
私どもも防災庁舎の保存に賛成で、解体の取り消しを求めています。
千年に一度と云われた東日本大震災の悲劇を現に見聞きし、または経験した者として、
あの日の爪痕を色濃く残すこの防災庁舎を後世に遺す義務があると考え、
そして、“被災の記録”と“防災の教訓”を伝える象徴として、
この防災庁舎を広く全国に、そして永続的に未来へ遺す必要性と意義を感じたからです。
防災庁舎から伊里前に移動し、歌津大橋に立ち寄って本日は終了です。
参加者の皆さん、長時間の移動大変お疲れ様でした。
続きます。
【キャンペーン・防災庁舎解体取消他】まだまだ絶賛署名活動中です!!
解体取消及び震災遺構としての保存に是非ご協力下さい。
署名には時間(30秒くらいです)も手間も掛りません!!(>▽<)