第85回南三陸ボランティア:3.11追悼ツアー ④
フェローズウィル南三陸ボランティア追悼ツアー その4
昼食後の作業小屋で集合写真
2019年3月11日は涙雨、、
今日は作業を行う事なく、気仙沼岩井崎階上(ハシカミ)にある向洋高等学校跡に向かいます、前日の10日、伝承館とし震災遺構として残された高校と資料館が新たにオープンしその見学をさせて頂く事としました、これが追悼ツアーの意味のあるところです。
3.11当日、強い地震に大津波の予感を得た教員の方々が一斉に生徒を校外高台にあるお寺に避難させました、教員の方々はさらに大津波を屋上より現認し生徒たちをさらに上にある階上駅、国道45号線迄避難させました、津波はその45号線先まで達しました。生徒さん達は後方に迫る津波から逃れ、国道先にある中学校で難を逃れ、先生、生徒全員が命を落とすことなく助かりました。学校に残った教員の方々は屋上に大事な物を運び、避難し難を逃れました。。。学校が、海を良く知る水産高校であったことが功を奏した避難行動でした。シアターで3.11当日の気仙沼の映像がながれます。
来場者が安全に見学できる施設になっています。
屋上には雨ででることは出来ませんでしたが、語り部さんのお話で当時を思い知ることができます。
津波で流されてきた倉庫が衝突し破損した校舎4階瓦礫が散乱し集まった中庭も当時そのままです。
「水を汲む少年」の写真もパネルで展示されていました、(撮影禁止なのでデータより引用)
バスは気仙沼を離れ、南三陸へと向かいます。三陸道が小泉海岸まで延伸され、あっという間に到着です、以前徒歩で南三陸から気仙沼迄歩いた私にとっては、その早さは驚きです。小泉海岸駅跡に設置された献花焼香台で手をあわせます、気仙沼線の線路が残されています。
大雨の中、昼食を寄木の作業小屋でとり、現地の方々にお別れし、志津川の上山八幡宮に追悼の為向かいます。今日は大雨、外での追悼は断念し、社務所内での追悼としました。八幡宮禰宜さん工藤真弓さんより、紙芝居含めたお話を聞かせて頂きます。
午後14:46分48秒 街に響き渡るサイレンの音に合わせて黙祷をおこないます、私達にとっても8回目の黙祷です。 黙祷は全員手を繋ぎ、想いを一つにします。
さあ、東京に向かいます。常磐道は空いています、いつも追悼の後はそれなりの車が沢山通っていたのですが、まばらです。マスコミ報道もドラマ仕立てだったり、録画が多かったようですね。夕闇に線量計が目立ちます。夕闇が迫りますが、家の明りは灯らないままです。(浪江町~大熊町)
梅や桜は今年もいつものようにこの地をしろやさくら色に染めてくれるでしょう、変わったのはフレコンバックの山が出現したことと、街に人がいなくなってしまったことです。
今年はじめてのワカメのボイル作業、、、昨年と比べとっても少ないです。寄木漁港後ろに造られる避難道寄木のスヌーピー(A・Aさん作)も元気です。
今回も参加して下さった方々に心より感謝します、またお会いしましょう。 これがワカメでこれがメカブ。。。笑
元気です。