NPO法人フェローズウィルのスタッフが何故、黄色のジャンパーをいつも身に着けているのか、答えは「ひまわり」です、2011年夏、現地復旧支援で訪れ、瓦礫の間から、逞しく咲くヒマワリを見つけ、私達のシンボルカラーとしました、あわせて黄色は遠目からも確認が出来る為、万一の場合、活動の参加者さんがスタッフを見つけやすいのです。

あの日から12年、13回忌を迎える現地に3年ぶりに訪問し、多くの参加者さん達と手を繋ぎ「追悼」の時を共有することができました。

3月10日晴れ、私達のバスは東京駅鍜治橋から出発しました、多くの参加者さんを乗せていくのは久しぶりなのでドキドキ、ワクワクです。今回もさいたまボランティアサポート様のご協力を得て、バスは一路、南三陸目指し北上します。

参加者さんは現地集合解散者さんいれて13名、スタッフ含め総勢17名の活動になります。

常磐道はごらんのとおり、空いており快調にバスは進みます、途中休憩をいれ、福島の常磐富岡出口で国道6号線にはいります。福島ではいまでも県内外で27,000人以上の方々が避難を余儀なくされています、、、12年もの間です、、、。

汚染土がいまでも、積み上げられているところが点在し、、、

取り壊し作業も進んでいるようですが、主の戻らぬ家屋が取り壊しもされず、沢山残っています、取り壊されたあとはただの更地になり、過去の思い出も消え去ってしまいます。

写真の家屋からは12年前迄沢山の笑い声が聞こえてきたはずです、、でも今は静寂でしかありません。

クレーンが立ち並ぶ第一原発跡、時折車中から汚染水貯蔵タンクをみることができます、、、そのタンクからトリチウムを含む汚染水水が海洋に放出されます、国の基準の半分に薄め、放出するとのことですが、「FUKUSIMA」はあまりに衝撃的事故であったため、漁業への風評影響は免れないでしょう、人災は続くいつまでも、、、。

双葉・大熊~浪江迄の6号線沿いの商店や施設はまだまだ当時のまま、残されています。どこでも見る、ファストフード店、ファミレス、ゲームセンタ―、衣料品店、コンビニ、etc 人が消えた街は12年間、そっと息をひそめ私達に問いかけてきます、、事実は雄弁です。

新しくできた道の駅なみえで昼食をとります、名物は請戸漁港で水揚げされる「しらす」らしいです。

しらす盛り放題のしらす丼はいけてると思いますが、シラスピザ、シラスソフトは個人的には??です笑

地域の方々がおおく見えており、お子さんの遊び場、談話室、会議室等も併設され、無印商品の店舗があったり、相馬焼や地元のお酒などを販売する店舗もあります。

さてバスは北上し、石巻大川小学校を訪れます。

震災遺構として保存され、伝承館も併設されている、大川小学校、追悼前日なので多くの報道陣が前のりしています。遺構の施設としてみるのか、明日は必ずくるものではないとのメッセージとみるのか、、個々の想いに委ねる しかないですが、亡くなった74人のお子さん達が残したメッセージを忘れてはならないですね。

南三陸に入り、戸倉地区にある旧戸倉中学校、高台に建っているにも関わらず、一階まで津波が押し寄せた場所です、初めて参加される方々の為に、津波の高さを実感して頂きました。、、津波到来地点の目線から海面を見下ろ すと、どれくらいの高さの津波が来たか実感できるのです。 

さあ、宿泊先の「高倉荘」、、、久しぶりの豪華夕食、お腹いっぱいにして明日に備えます。

ご馳走様でした!! ボランティアも多く受け入れてくださった高倉荘、「せめて腹いっぱい食わせてやりたい、それくらいしかお礼することができないから」とご主人。                     続く