IMG_8754  今年で6回目、7回忌を迎える被災地、総勢34名は追悼ツアー始まって以来の参加者、皆様の想いに心から感謝致します。

2017年3.10、1週間前程から3.11にあわせテレビ、マスコミの報道が増えてきました。年に一度の報道祭りです。確かに放送して頂くのは有難いことなのですが、年一回の報道は「あの時」は終わってしまった、だから「思い返そう」という定例的なものになってしまったような気がしてなりません。福島県知事の言葉を借りると「今も被災は続き、苦しみは消えてはいない」という現実が遠のく世相です。

さて、そのような世相をよそに「想い」を持った仲間たちが集まり、今回のツアーとなりました。               東京駅を出発、先ず目指すは福島沿岸地域です。IMG_8678数千万個の汚染土が入ったフレコンバッグがここ福島沿岸に仮置きされ、これからも増え続けます。3月末で一部避難指示解除される富岡・浪江町 帰還希望者町民の15%程 低レベル放射線が存在し続ける町、学校も病院もスーパーもない町、避難指示解除で何が変わるか?避難先での住宅補助がなくなるだけです。

国の基準のレベル(低レベル被ばくは人類史上類がないのです)に下がったから「戻りなさい」。でも、大熊・富岡・浪江・双葉、飯館村他の6号線から離れたところでは帰還困難地区が膨大に残ったままなのです。

此れは自分の足で現地に訪れて頂かないとわからないことなのです。

福島第一原発にある強烈な放射線(浴びれば即死するほどの)を発するジブリ(核燃料が溶け、他の金属などと融合し、原子炉を突き破り落下した物質)の除去方法さえわかってなく、永久貯蔵する場所もなく、これから30年以上の時が流れるのです。

IMG_86823月末に避難指示解除される富岡駅周辺では家屋の解体が進んでいます。ここにあった家屋が写真のような看板だけになっています。本来なら家が立っていて、そこに表札があったはずです。何故、避難しなければならなかったのか?なぜ避難先で子供も大人も差別されいじめを受けなければならないのか?何故、最近になってそんな報道が盛んにされるのか?{いじめや差別は避難した当初からあるのです}知っていますか、婚約解除された方々を、放射能と呼ばれ続ける子供たちがいることを、福島ナンバーの流入が規制されたことを、そして今、避難解除される町の役場職員が町内に戻らないと昇給や昇格ないぞ!と言われていることを。誰がそうした!!(叫び)が聞こえてきます。

無人の町を通り過ぎ、富岡に昨年10月開店したおふくろ食堂と併設して新たにオープンする「とみおかさくらモール」で昼食をとりました。お客様の80%が除染作業員の方々、10%役場職員、5%が報道関係者、後の5%が参加者と何処かでみた芸能人・アナウンサー。

喫煙所が私の情報のネタもと。「俺、東京にいたんだけど、福島の工事のスピードは東京の3分の1だな、見えるところばかりやって、6号線から離れたところは草ぼうぼうで、夜の森なんて当分除染なんて進まないよ」、「家の中まで除染出来ないから解体するしかないな、家の中はネズミやハクビシンでいっぱいだよ」、「夜になると、この辺りまでイノシシが出るんだぞ」と除染作業員の方々。

役場関係の人は「ここが出来てやっとあったかいもんが食えますね」「よかったよな」と。、、原発爆発6年後の会話です。

さて、常磐道~三陸道~河北インターで下車、大川小学校跡を訪れ、焼香・献花をさせて頂きます。珍しく大勢の方がお見えです。よく見たら報道の方々でその他の方々は取材を受けた人達でした。「そうなんだ、いつもいないのに」とは参加者さんの弁。

毎年、震え上がるほど寒い、3月10日の大川小学校跡、今日は風もなく穏やかでした。IMG_8687IMG_8685IMG_8688この日とばかりに、どこにでもマスコミが殺到しています。IMG_8691せめて、毎月やって欲しいな、報道って現実を伝える唯一の手段なんだから、視聴率ばかり考えないでしっかりして欲しいですね。北海道にいる有名な脚本家が「テレビはもう死んだな」と言ってからもう10年はたちます、確かに死んだままです。

沿岸を南三陸に向かい走り、本日の宿泊先に到着、食事の後3.11のDVDを鑑賞、個々に感想をお聞きします。

明日に備え早めの就寝です。IMG_8693続く