能登半島地震災害、現地報告と仲間への訪問

2024年1月1日午後16:10、大きな揺れが能登半島を襲いました、津波の襲来もあり、甚大な被害を及ぼしたことは記憶にも新しいものです。発災直後、当団体として炊き出しの支援を行っている金沢の飲食店経営者を通じ、炊き出しに必要な支援金を送付、続いて富山から現地に入って炊き出しをしている団体に支援金を送りました。私たちはマイクロバスを使い東北の現地にはいり、支援活動を続けているのですが、能登半島への支援について、遠距離であること、道路が寸断された上に、宿泊場所の確保ができない等、ボランティア参加者さんたちの安全を考慮し、現地での活動は有志のみとしてきました、そんな有志の情報で輪島市門前町馬場というところで、自ら被災しているにも関わらず、地域の支援を行っている漁師さんのことを知り、その漁師さん宛に主に仮設住宅向けに多数の扇風機・暖房器具をお送りさせて頂きました。

今回、その漁師さん「田谷武博」さんを訪ね、直接寄付金をお渡しすることができました。

ご自身が親から受け継いだ土地・建物を改造し、多くのボランティアさん達を受け入れ、宿泊してもらい、活動の拠点として開放し、自らは行政との折衝、仮設巡回訪問、物資の調達配布とすべてを投げうって活動をされています、今となっては多くのボランティアの居場所、地域の方々の光、子供たちの遊び場になっている「sun Rise 能登震災復興支援ボランティア」の親分的存在です。 

I・B インスパイアーベースの略でしょうが、ボランティアさん達のお力を借り、素敵な施設となっております。震災直後、自衛隊が来なかったこと、ボランティアの受け入れを拒んだ行政(危険で受け入れが出来ないとの理由があったにせよ)地域の方々が自らの手で、自助努力するしか手立てはなかったようです。行政に談判し、自衛隊の要請をお願いしたところ「今総裁選を控えているから余裕ない」と言われたそうで、、、、現地の人たちの救助・救命を後回しにしてI総裁・I政権が誕生したようです。田谷さん談

ここのサバやイワシの刺身は旨いぞと屈託のない笑顔で話されていた彼ですが、壮絶な二年半だったと思います。後ろ髪をひかれ、サバ・イワシの刺身がインプットされた私は再訪を約束しここの地を離れました。その後この地の守護「総持寺」、珠洲、狼煙、輪島を走り抜け、災害の大きさを改めて目の当たりにすることができました。

I・Bにはこんな車も用意されています、発災当時は「水」がとにかく不足し、井戸を掘ったり、支援で届いた水を配ったり、毎日毎日がそんな日の連続だったようです。

神奈川県川崎にある総持寺に本山が移る前はこちらが本山であったようで、輪島市には門前と冠のついた町が数十存在しています。

崩れた境内内の橋、手水舎、、ここ輪島や珠洲では多くの神社仏閣も震災から手つかずの状態です。

宿泊でお世話になった珠洲見附島「のとじ荘」一階は3mの津波が押し寄せ、利用することができない状態です、宿泊はできるのですが、朝食も夕食もなく、近くに一件だけあるラーメン屋さんで済ませます、活動後のボランティアさんたちが入浴に来ていました。

殆どの電柱も曲がったままです。

橋も落ちたままで通後不可です。

この後、珠洲にある須須神社を訪ねました、この地で伝えられる「キリコ」南三陸の「キリコ」とは違いますが、同じく神事で「キリコ」が伝承されています。

海からまっすぐな山門は灯篭が落ち、水手舎もこのようなありさまです。復興成就の願い絵馬が唯一の光のようでした。珠洲から狼煙~禄剛崎、眼下には隆起した海岸が長く・長く続きます、3Mの隆起、報道ではみることもありましたが、このような隆起が何十キロも続いています、、。

もう海は彼方になってしまいました、こんなに広域な隆起があるなどどは想像できませんでした。能登半島の先端部分はみなこのような状態です、もとろん海の隆起は山々にも大きな影響を及ぼしています。

目の前の海は隆起し、後ろにある山々はがけ崩れが多数、、、いや山々のほとんどが崩れています、このがけ崩れも迂回道路にそって何十キロも続いており、いまだその道路・う回路も一方通行が沢山そんざいし、まともに走ることができません。

世間はワールドカップで盛り上がり、高市政権の行く末を見守り、日々の上書きが続いています、、いつもながら人は忘れる動物、マスコミは偏向報道、日々の生活と楽しさに生きる人たち、今あるこの地の現実をつたえる者さえ極端に少なくなっています。、、、やっぱりなんか変だよね、、この世の中、と思わざる得ませんね。

帰りの新幹線で立ち寄った金沢は観光客でごったがえしています、東北の震災直後被災地と仙台市内の賑わいの大きなギャップを感じましたが、それと同じものを感じています、そして阪神大震災以降、ボランティアはどんどん成長し、復旧復興の工事技術も進歩しているようです(インフラに限ります、いまだ現地では善意の瓦職人さんが頑張ってる一方で、悪徳がな業者が高額な工事代金を請求することも横行しています)しかしながらまったく進歩もせず、まったく変わっていないのが行政だということもわかりました(失敗したくない、責任取りたくない、上からの指示でしか動かない、ヒラメのような人たちばかりの役人は人を救う、地域を守ることなどできませんね。

能登半島の現実でした。

PS 後日、田谷さんがFBに掲載してくださいました。

先日 NPO フェローズ ウィル代表 我妻夫妻が I.B に尋ねて来てくれました。

会うのは初めてなんですが 震災の夏前から仮設の熱中症対策に奔走してた私を見付けて 扇風機100台の支援を申し出てくれて エアコンを点けない方々に配りました。

夏前6月に電気料を上げるって無慈悲な北電…
出来るだけエアコンを点けるようにと説得して回りました。

その冬前に温風ヒーターの支援も頂き ご自身が東北大震災で南三陸町を支援してきた経験を活かした 能登への支援だと実感しました。

最近 私は あと1年…と言い続け、その時期に至るともう1年と感じるのを どう思いますかと聞いてみた。
『それは 私も同じでした。ずっと続きますよ…と。』

来る日も来る日も被災したお年寄りの弱さが見えて来て、放っては置けなくなるんです。
家族なら 自分らの楽しみも混えるんですけど ボランティアは自分は さておき あくまでも被災者を優先するんです。

先ずは車イス用のスロープも完成した I.B をより使い易く改造して それから被災者との接し方を考えます。

これから先 色んな経験豊富な方々にご意見賜りますので宜しくお願いしますm(__)m

我妻夫妻、今は南三陸町の支援を後進の方に譲り 都内でDVで親御さんと同居が出来なくなった子供たちを預かる施設向けにこども食堂の支援をされてるそうです。
私も昨年来 金沢近郊の子供食堂に少しですが支援物資を回してます。

いつも思うんですが 今 自分のやってる事は 本当は行政がやるべき事なんですよね。

SunRiseにご支援下さる皆様、いつもありがとうございます。

自然豊かな能登と能登の優しさを伝えるために まだまだ頑張りますので宜しくお願いしますm(__)m

                 能登復興支援
                      Sun Rise

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