2026年5月 南三陸漁港支援ボランティアツアー①

東日本大震災および原発事故から15年が経ち、私達の活動も16年目を迎えました。大型連休のこの時期は例年参加者が多く、ピーク時にはマイクロバス2台、30~40名のツアーになることもありました。その頃は漁師さん達が仮設住宅での暮らしを終え、南三陸町に戻ってきて生活を再建し始めた時期でした。津波によって壊滅した養殖業を一から再開させるのは並大抵のことではありません。「何か少しでも役に立てれば」との想いをもった沢山の方々を、復旧復興の途上にある南三陸町にお連れすることができました。

15年が経過し震災の記憶が徐々に薄れつつあるなか、町や人の様相が変わろうとも、「現地の皆さんに寄り添う、寄り添い続ける」という私達の想いは変わりません。今年の大型連休もボランティアツアーを催行、現地集合の方も含めて総勢13名で活動いたします。

土曜日かつ連休初日とあって高速道路の渋滞は想定しておりましたが、普段のツアーより30~40分遅いくらいで済みました。バスのなかでは参加者の皆さんに、私達のボランティアツアーに参加しようと思った「きっかけ」を伺ってみました。

「東日本大震災の被災地には行ったことがない。ずっと前から行きたいと思っていて、ようやく念願が叶った。」

「連休中に何もすることがなかった。色々情報を探していたら見つけた。これだ!と思って即決した。」

「南三陸町で以前ボランティア活動したことがある。今回数年ぶりの訪問なので、現地で知り合った人に会いたい。」

皆さん動機や想いは様々ですが、こうして連休の貴重な時間を使って南三陸町へ足を運んでくれる、本当にありがたいことです!

休憩を挟みながら北上を続け、お昼休憩の時間となりました。今回はタイミングもありましたが、福島県楢葉町の国道6号線沿いにある「道の駅ならは」に立ち寄ることにしました。過去のツアーでもここに立ち寄るのは初めてかもしれませんね。

さすがに道の駅とあって、お食事やお土産が大変充実していますが、特にお弁当・おむすび・パン・ドリンク・デザートなど、昼食向きのラインナップが豊富でした。ここは「当たり」かもしれません、次回以降も利用してみたいと思います。

皆さん思い思いの買い物をした後、お天気が良いため屋外のベンチでランチタイム。

昼食を済ませた後、そのまま国道6号線を北上し、福島県沿岸地域の視察を行います。震災から二日後、福島第一原発の爆発事故により高濃度の放射性物質から逃れるため、最大30万人もの住民が避難を余儀なくされた地域。私達のボランティアツアーでは必ずこの地域を視察し、あの日あの時からの経過を見つめ続けています。

今回、私達のツアーでは初めての試みとして、福島県大熊町の町内を視察することにしました。福島第一原発はこの大熊町と隣町である双葉町にまたがっており、いわゆる「原発事故の最前線」です。最前線ということは放射性物質による汚染度合いも最悪の地域、当然ながら全町民に避難指示が出され、15年経過した今も住民が戻ることができない「帰還困難区域」が残されています。

大熊町において避難指示が初めて解除されたのは2019年。震災と原発事故から何と8年後です。それでも居住が認められたのはごく一部区域に限られ、帰還困難区域の一部が解除されたのは更に3年後の2022年。実に11年の年月を経て、町としての復興が実質的に「開始」されたことになります。震災前は11,000人が住んでいた大熊町、現在「帰還」した住民は約300人。町全体の50%が未だに「帰還困難区域」のまま。東京から車で約3時間ほどの距離に「帰りたくても帰れない町」がある・・・この現実を知っていただくため、私達のツアーでは必ず福島県の沿岸地域を視察するようにしています。

町の中心部にあるJR常磐線「大野駅」。この常磐線は福島県沿岸地域において津波により寸断、更に原発事故により復旧工事もままならず、取り残された車両が何年も放置され朽ちていく様子が見られました。海岸沿いから内陸側へと線路の移設を行い、不通区間が全線復旧したのは2020年。従って、この大野駅も2020年に復旧したことになります。復興の証として大変立派な駅舎となり、駅周辺にはコミュニティ施設や病院などが建設中であると伺いました。しかし、例え立派な建物が出来たとしても、戻ってきた住民はごく僅か。駅から数十m走ると、未だに帰宅困難区域が点在し、道路沿いには不法侵入を防止すべく「バリケード」が設置された住宅が見られました。僅か数分の視察でしたが、まさに光と影が隣接する現実を目の当たりにすることとなりました。

そのような大熊町において、2019年、帰還した住民によるクラウドファンディングが立ち上がりました。大熊町内で育てたお米を用いて「日本酒」を造ろうというものでした。当時から福島県沿岸地域を視察していた私自身、少しでも役に立ちたいと僅かならが支援した記憶がありますが、日本酒の銘柄は公募から選ばれ「帰忘郷(きぼうきょう)」と名付けられました。原発事故後、町民がばらばらになってしまったが、常に心には大熊町があり、故郷を忘れずにいる、との想いが込められています。

【お詫び】ツアー中に本件を説明した際、「帰忘郷」の漢字を誤って説明してしまいました。この場をもって深くお詫びいたします。

●参照:クラウドファンディングREADYFOR

東日本大震災から10年|大熊町の日本酒づくりを通して感謝を伝えたい(大熊町日本酒プロジェクト 2021/02/01 公開) - クラウドファンディング READYFOR

大野駅からほどなく、今度は福島第一原発が見えてまいります。ビニールシートの下には、放射性物質を除染した後、仮置き場で保管された山積みのフレコンバッグがあります。除染土と呼ばれるこの土は、いったいどこで使用されるのでしょうか。

福島第一原発を過ぎて双葉町を視察。大熊町よりもほど早く復興拠点としての整備が進むこの町に、福島県の復興祈念公園が設置されました。東日本大震災・原子力災害伝承館の周辺から沿岸部へと数kmに渡り公園が整備され、津波と原発事故という複合災害の現実を知るとともに、復興を進める上で追悼と復興の象徴にしたい意向があるそうです。私達は毎年のように彼の地を視察しており、この公園の整備が始まったのは僅か1-2年前と記憶しています。人々の記憶が震災や原発事故から遠のきつつある今、それまで10年以上も放置されていてようやく復興の象徴を示す・・・とありますが、果たして震災前の賑わいを取り戻すことは出来るのでしょうか。

その復興祈念公園、遊歩道はこれから視察に向かう震災遺構「請戸小学校」まで続いていました。私達のツアーでは福島・宮城の震災遺構を必ず1箇所は訪れるようにしています。つい先日開園したばかりの復興祈念公園と大型連休が重なったためか、例年になく多くの方が見学されていました。語りべによるイベントも行われていたようで、私達が訪問したタイミングも良かったようです。とりわけ目立ったのが、震災を「未体験」とされる小さなお子さん達の姿。当時の様子はSNS等にていつでもどこでも視聴できるのですが、こうして被災地を訪れ、自身の目で見て感じることが大切なのではないでしょうか。請戸小学校以外にも数多くの震災遺構があり、この大型連休で多くの方が訪れていることを望みたいですね。

福島県沿岸地域の視察を終えて、南三陸町へと向かい北上します。しかしここで思わぬ難題・・・猛烈な風が吹き荒れてきました。当日の東北地方は低気圧により瞬間最大風速30m超の暴風が吹き、高速道路を走行中にバスが大きく煽られる危険な状況ゆえ、スピードを落として進まざるを得ませんでした。私達のツアーバスはNPO法人「ボランティアサポートさいたま」代表の藪下さんに運転いただき、現地との往復を安全に運行いただいておりますが、この悪条件の中で無事現地に送り届けていただいたことに感謝感激の一日でした。

普段より約1時間ほど遅れましたが、宮城県南三陸町に到着しました。例によって民宿「高倉荘」にお世話になります。いつもどおりお父さん・お母さんに「よく来てくれたね~、ゆっくり休んでくださいな。」と暖かいお言葉。到着が遅れたことで食事の準備を待たせてしまいましたので、早速大広間で夕食をいただくことにしました。

相変わらず豪勢な料理!!

日中の暴風は少しずつ弱まってきて、明日は天気に恵まれるようです。明日の活動はこれまた初の試みとして、現地の漁師さんとの交流イベント「炊き出し体験」を企画しました。災害により避難を余儀なくされた住民に対して、避難所や仮設住宅などにおいて食事を振る舞うボランティア活動、それが「炊き出し」です。私達も過去には南三陸町内の仮設住宅や仮設商店街において、カレーライス等を振る舞ったことはありますが、炊き出し自体は滅多に行うものではありませんので良い機会になりそうです。ただし現地の漁師さんとの企画段階から、スタッフに対してもシークレットな部分が多く、当日の状況で準備や食材調達などを臨機応変に行うとのこと。

さて、いったいどんなイベントになるのでしょうか??翌日の活動に備えて、今夜はゆっくり休みましょう。

2日目へつづく。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です