20160311_020震災後、5年9か月。震災時生まれた子供は幼稚園に、大学生は社会人に育った「時の経過」です。その経過とともに薄れる彼の地への想いと復興という目に見える変化。いつも私は真実は「光」ではなく「影」にあると伝え、真実は自分の足でその場所に向い、自分の目で見て、感じる事だと伝え、その為にボランティアツアーという活動を継続しています。年末を迎え、色々なものが去来し、自分を見つめてみました。

プライドという言葉がありますがこれをどのように解釈すればいいものなのか? どうしたらプライドを持つことが出来、そして自分は傷つかなくてすむのでしょうか。 どうしたら相手も傷つけないですむのでしょうか。 プライドは自分を守り、誇ったりするものではなく、自分がそうしたいから持つ、そうなりたいから持つものだと思います。 言葉を変えれば「自分に自分を誇りたいから持つ」、「自分で自分を納得させるもの」、「自分を信じられるようにするもの」と思いますし、自分を守る鎧にしてはいけないし自己満足の現われや自分勝手な屁理屈になってはいけないのです。

本当の意味でのプライドのある人は、他人になにを言われても何をされても傷つくことはないと思います。傷ついても、それは一時的なことであり、長くその影響を引きずることはないと思います。そして、自分が間違っていたと思えば、いままでの考え方を現実に合わせて柔軟に変えることも出来るのです。

それは自分の生き方に対する納得だからです、そしてその納得は試行錯誤や自分が傷つくことで持つことができるのではないでしょうか。周囲になにを言われても傷つかないし、反論もしないのです。

でも、自分に誇りを持ち、良かれと思って行動したことも、時によっては相手を傷つけてしまうことがあります。それは相手と考え方が違うからで、どうしたら傷つけないで生きることが出来るのかいつもいつも悩みますし、これからも悩みながら活動を継続していくことで又何か見えてくるものがあると信じています。

活動を継続していくと言うことは、自分を捨て、他人の為になにが出来るかをいつも考え行動することとで、何も求めずそっと寄り添っていくことだと思うのです。人によっては「かっこつけるな」と思われる人もいるかもしれませんが、これが私の生き方でありフェローズウィルの哲学だと思っています。

継続・・・言葉以上のものを感じています。

php9UNraU_20160211_203335すべての被災地の皆様、来年は今年より、より良い年でありますように!フェローズウィルの活動に関わって頂いた方、皆様の純粋な想いが来年さらに花開きますように!を祈り今年最後の報告と致します。完