第22回ボランティアツアー 南三陸農業&漁業支援 ①
第22回フェローズウィルボランティアツアー その1
企業ボランティアコーディネートと同時期催行となった22回ボランティアツアー、往路は団体理事M・Aさんに行程管理を委ね南三陸への到着を待つこととしました。
定刻に東京を出発し、常磐道を順調に北上します。運転ボランティアさんはK・Eさん、いつも急なお願いに応えて下さる頼もしい存在です。広野インターで高速道路を降り、富岡駅跡に向かいます。予想はしていましたが、重機による家屋の解体が始まっていました。地震そして津波で破壊され、原発事故で避難を余儀なくされた現実が消えていきます。もう誰の目にも映ることのない光景となってしまうのです。重機でこなごなにされた家屋の瓦礫は駅跡前の大きな処理場で粉砕され、黒い袋に詰められ数十年いや数百年以上貯蔵施設の中で眠るのです。本当はこの現実が今日本に存在すること、そして、この現実を後世に伝えるべきものではないでしょうか。いつか避難解除され住民の方々に帰還可能の連絡が入るのでしょう。しかし、うず高くつまれた放射性物質が詰まった黒い袋を目の前に生活など出来るはずもなく、裏手の山々は除染のしようもありません。何故優しくなれないのでしょう。悔しく、寂しい気持ちになります。
バスは南相馬鹿島SAで昼食休憩の後、石巻、大川小学校跡に向かいます。渋滞などなければ毎回訪れ献花・焼香をさせて頂く場所です。多くの小さい、尊い命が奪われた場所。この国から、ここで手を合わせる気持ちが薄らぐことのないように祈るばかりです。リピーターの方々はお判りでしょうが、周りは全て住宅地だったのです。今は原っぱが広がり、土壌改良の為の他府県からきた大型ダンプカーが行きかうだけの光景です。
夕刻、本日の宿泊先「まなびの里 いりやど」に到着です。町内では新しい施設の一つです。大正大学の大きな支援を受け、研修施設と宿泊施設が合わさった複合施設となっています。なんだか研修センターっぽくてどうかな??と思っておりましたが・・・隊長(参加者さん達がつけました)R・Bさんの乾杯の音頭と共に盛り上がりました。ふと厨房をのぞくと、あれま旧知のさんさん商店街「志のや」のT社長、公民館館長のAさんが何気に仕事をなさってました。な~んだ、急にこのお宿が身近なものになってきました。毎回お見せするDVDもプロジェクターを使い、大きなスクリーンでお見せすることも出来ました。この町にこんな施設があったんだとは、もう4年7か月毎月訪れる者にとっても驚きでした。
さて、明日は朝からあったらもんの菊芋堀です。念願のキクイモかりんとうがもうすぐ出来上がります。 続く