周辺を歩くと、手向けられた花束を見かけます。

残された人達の、大切な人達への変わらない想いを感じます。  

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こういった写真を撮る時に躊躇がない訳ではありません。

むしろ葛藤し、撮るまでに暫く時間が掛かる事もよくあります。

それでも結局撮影するのは

こういう想いも含めて現地を知っていて欲しいからです。

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※玄関(であろう場所)に添えられていた花束が印象に残りました。

 

震災当時から比べると現地はかなり整備されてきて、

その爪痕を感じる事が難しくなってきています。

けれどもここは間違いなく悲劇のあった場所です。

誰かの大切な人が犠牲となった場所です。

その事を忘れないでいて欲しいという想いで撮影しました。

自己満足、といえばそうなのかもしれません。

もし不快に感じられる方がいらっしゃったら申し訳ありません。

 

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共徳丸の傍に災害公営住宅が建設されるみたいです。

「地元の方の気持ちを優先」とし、

解体・撤去を決めた所有者の心情が理解できる気がしました。

 

何度か来ていると

この船がここにある『異常』さを感じる事が出来ません。

“慣れ”でしょうか。

「ああ、共徳丸だな」と納得してこの風景を受け容れている自分がいます。

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けれども、ちゃんと考えると、

今のこの風景は日常では決してありえない『異常』な風景なんですよね。

この『異常』な風景は、近々行われる共徳丸の解体・撤去でなくなります。

そしていつか、この『異常』な風景があったという事実は

『日常』という日々の記憶に押され、忘れられてしまうのでしょうか。

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忘れない努力と伝える努力は

『今いる私達』がしなければいけない義務なのかもしれません。

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